前回の記事の次回予告で「1992年頃の新中野駅・中野新橋駅・中野富士見町駅界隈の予定」と書きましたが、ちょっとボリュームありすぎるので、小分けにすることにします。
まずは中野富士見町から。
富士見会館
住所:東京都杉並区和田1-1-13
たぶん、人生で初めてパチンコを打ったのはこの店。
物心つくかどうかの頃、父親の膝の上に座って手打ち式で弾いた覚えがある。
父親はたまにしかパチンコを打たなかったが、だいたいいつもたくさんのお菓子や缶詰などの景品に交換して帰っていた。
※俺が自分の意志でホールに通うようになってからわかったことだが、父親は特殊景品の存在を知らなかったらしい。
とにかくここは実家から一番近いホールである。
そして今もこの近所に住んでいる。
富士見会館の経営者が替わり、アーク中野富士見町店となり、新型コロナウイルス第一波のときの営業自粛の波に飲まれて閉店した。
現在はスギ薬局となっている。
話を戻そう。
俺が自分の意志で通うようになったのは1991年頃。
先ほども書いたように、家から一番近いので。
当時の富士見会館はのほほんとした雰囲気だった。
基本的にはいつもガラガラで、パチンコを打っている俺の背後で2~3人の子供が床に座って、ままごとが始まる。
きっと子連れで来店している客がいたんだろう。
こんな光景が当たり前だった。
この当時は三共のオールスターIを打つことが多かった。
パチスロの設置は、ニューペガサスとハンター(その後、グレートハンターに入替)だったが、当時のこの店ではいつもパチンコばかり打っていた。
その後、たまに様子を伺いに行くくらいのことしかしなかったが、1998年ごろに随分遅れてニューペガの面白さを覚えて、通うようになる。
常連ともすごく仲が良かった。
今でもこの頃の常連とは家が近所であることもあって、頻繁に顔を合わせる。
パチスロの設定を入れたり釘を調整する店長的な立場の人が二人いて、「太っ腹」と「シミったれ」と呼ばれていた。
そして彼らは1ヶ月交代でパチスロの設定を担当していた。
「太っ腹」はその名の通り、ご本人もパチンコ・パチスロを打つのが大好きで、出す時は惜しみなく出してくれた。
「シミったれ」はその真逆で、良く言えば保守的で真面目な人なんだろう(笑)。
イベント全盛期だった当時、この店も設定発表や示唆など色々とやっていた。
この店独自の「朝目」と呼ばれるイベントがあった。
6台ずつある各機種、最低でも1台は高設定(4or5or6)が入り、それらは20時に発表。
朝イチはリール枠内に7図柄が1つでもあれば、それが「朝目台」。
「朝目台」は目安にすぎず、高設定が入るとは限らないというのがミソ。
そのまま朝目台がズバリ高設定の日もあれば、はずしてくることもある。
太っ腹が担当したとある月、「朝目」イベントを1週間連続して行った。
たまたま俺は仕事などの都合で、その1週間丸々打つことができない。
毎日朝から通える常連のTちゃん(同じ歳のスロプー女子)にお願いして、ニューペガの毎日の朝目と20時の発表内容を携帯にメールしてもらうことにした。
開店待ちをする裏口からニューペガの6台すべての出目が見えるので、Tちゃんにもそんなに負担は掛からないだろう。
ニューペガの場合、設定6が入ることはほぼない。
基本は設定4、たまに設定5が入る。
初日の10時前、朝目のメールが来てすぐに「高設定は●番台だと思う」と返信。
結果、正解。
2日め、同じようにすぐに返信し、またしても正解。
詳細は忘れたが、「明日は●番が朝目なら▲番、■番が朝目なら★番」という前日予想を的中させた日もあったし、「明日は朝目に関係なく●番」という予想を立てた日もあった。
このようなことを1週間続けて、全ての日で正解した。
その間、一度も現場に行けていないのに(笑)。
この時ばかりは俺の予想能力が神憑っていたように思う。
本当にこの店にはたくさんの思い出がある。
長くなりすぎるのでキーワードだけ羅列する。
- ニューペガ設定5で万枚
- 猛でロックオン
- ぐるぐるのおっちゃん
- 教授
- ヒゲじい
- 中押しマンション狙い
- そんなもったいないところでやめちゃうのかい?(ジャグラーガールにてOさん)
- 送っていこうか?(個人タクシー運転手のOさん)
- 夜の街へ集金行ってくる(Oさん)
- 悔しいのぉ…悔しいのぉ…(スーパービンゴで15万やられた後にすぐカマ掘られて3桁出されたヤ●ザのおっちゃん)
楽しかったなぁ…。
次回予告
1992年頃の新中野駅界隈他の予定。