思い出のホール_05

今回は1991年ごろの明大前駅界隈。
通ったのは1軒だけだが、話が長くなる。

ミカサ 明大前店

住所:東京都世田谷区松原2-44-1

また別の同級生がパチンコを打つようになった。
話を聞くと「プロレスの羽根物が面白い」と言う。
当時既にパチンコ必勝ガイドの読者だった俺はすぐに「Mr.フォール」のことだとわかった。
行動範囲内に設置がなかったので、卒業式の翌日、数人で彼の行きつけへ一緒に打ちに行くことに。

それがこのミカサ。
4000発定量で、メリハリのある釘だったように思う。
初日はボロ負けだった。

翌日以降、結構な頻度で行くようになった。
前回の飯田橋界隈もこの頃の話だが、飯田橋へは電車で、気分的に面倒な日は明大前へ原付で…って感じで打つ店を使い分けていた。

何度かTwitterでも語ったことがあるが、なんと言ってもこの店での思い出は「フィーバーフラッシュI」である。

ご存じない方のために説明すると、フィーバーフラッシュIは三共のドラム式デジパチ。
最大10R継続の旧要件機と言われる部類だが、他の旧要件機同様にアタッカーの両脇に「おまけチャッカー」があり、アタッカーが開くことによっておまけチャッカーへ球が流れやすくなる。
アタッカーでの獲得期待値は、賞球13個×10カウント×10ラウンド=1300個であるが、釘調整によってアタッカーよりもおまけチャッカーへ流れる球の方が多いので、1回の大当りで少ない店では2200個前後、多い店だと3000個を超える出玉になることもあった。

そしてこのフィーバーフラッシュIの最大の魅力は、強力な保留玉連チャン。
大当り中に保留玉のフラグを書き換える方式であるが、他の機種と少し違う点があった。
それは、保留満タンの状態でもう1つ入れると、保留1個目の内容が押し出されて消滅する「トコロテン方式」を採用していたこと。
そして連チャンの書き換えが行われるのは大当り中のみなので、大当り終了後は打ち出さずに保留消化を見守る必要があった。

ミカサのヘソの調整はイマイチではあったが、出玉が3000個近くあったので、多少回らなくても勝負になった。
しかし、この出玉の多さが逆に作用してしまうことになる。

現在のパチンコは入賞した球を機械的な信号で判断し、カウントした数だけ払い出されるという仕組み(だと思う)。
消化スピードの速いCRビッグドリームなどでも、大当りが終わったのに払い出しするだけの時間で何分か待つ…なんてことがあったと思う。

対して当時のパチンコは、盤面裏に実際に入賞口を通過した球が貯まっていき、特定の領域を1個通過するたびに払い出す処理を行っている。
…何が言いたいかというと、払い出しが間に合わないとアタッカーや入賞口から球が溢れる(=球が入って行かない)のである。

ミカサのフィーバーフラッシュIでもこのようなことが起きて、だいたいいつも4連チャン目におまけチャッカーから球が溢れてくる。
4回目の大当りが終わってもまだ溢れたままで徐々に入賞口の中に入っていく。
上で書いたが、フィーバーフラッシュIは「トコロテン方式」である。
大当り中に書き換えられた保留はおまけチャッカー付近の溢れた球によってあえなく押し出され、5連チャン目を拝むことはできなかった。
物理的な4回リミッターってことになるわけである。
もしもミカサで5連チャンしたとしても、その5連目は相当運のいい自力大当りということになる。

フィーバーフラッシュIが外されてからは全然行かなくなってしまったが、2000年4月にドギージャムが設置されていることがわかり、「近場でドギーが打ちたくなったらミカサ」って感じの立ち位置になった。

参考:東京都|世田谷区|ここって昔はパチンコ屋?

次回予告

1992年頃の新中野駅・中野新橋駅・中野富士見町駅界隈の予定。