思い出のホール_13

このシリーズ、しばらく間が空いてしまいました。
ようやく書きます。

金馬車 新宿店

住所:東京都新宿区新宿3-6-7 第6三和ビル

1999年にプレリュード2が発売された。
販売台数はかなり少ないものの、ガルちゃんのBBS(化石掲示板)に全国から設置報告が寄せられた。
都内の設置は数件で、新宿ではBIS-IIくらいにしか設置がなかった。
直後に新宿で新規オープンしたばかりのホールがプレを導入したと書き込みがあったので行ってみた。
それがこの金馬車 新宿店。

プレが7台!

オープンしたばかりのキレイな空間にプレが7台もあった。
まだ打ってもいないのに、この店に通うことを決意。

全台に液晶モニタ設置

今となっては珍しくないが、全台に液晶モニタを設置していて、会員カードを挿せば全台の詳細データを閲覧することができた。
そしてテレビ番組を観ることもできた。
その際はユニットにイヤホンを挿して音声も聴こえた。
開店すると真っ先に1階のインフォメーションカウンターにテレビ番組表のコピーをもらいに行く常連の方もいた。

会員カード

上にも書いた会員カード。
ユニットに挿すと来店ポイントとして1p。
さらに遊技中挿しっぱなしにしておくと、30分につき1p。
雨の日は2倍。
これが500p貯まると、ノーマルAタイプの設定6を予約して打つことができる。
アステカや大花火は1000pだった。
設定5だと少しポイントが低めに設定されていた。
「ポイントを貯めるために打つ」ことが頻繁に起きるので、稼働は良好。

ルール

パチスロは移動不可で7枚交換。
パチンコは打った記憶がないので知らない。

店員さんの質

清潔感があって、すごく礼儀が正しい。
接客がしっかりしている。
スタッフは全員インカムしてるのに、お客さんと話すときはインカムを耳から外す。
そのように教育されている…と、後日仲良くなったアルバイトのS藤君に聞かされた。

Pachinko Urbanity

店内放送で繰り返し「パチンコアーバニティー金馬車新宿店にご来店いただきまして…」と言っていた。
「アーバニティーってなんだ?」と疑問に思う。
意味を調べると「優雅、上品な振る舞い、都会風、洗練されていること」とある。
なんか、アイゼンラーガ 銀座店が目指していたような感じがスタンダードになってきたのかな。

金歯者プ連委

東京三太さんを初めとする我々が金歯者プ連委という組織に発展するまで、時間はかからなかった。
化石掲示板を観た人がどんどん訪れるようになり、「金歯に行けばプレリュードマニアが誰かしらがいる」という状態が作られる。
当時の俺は無職状態だったので、ほぼ毎日のように入り浸る。

金歯者プ連委世話役

上に書いたアルバイトのS藤君。
彼が我々の世話役を買って出てくれた。
俺が夕方とかに行くと「今日は○時ごろまで○さんが○番台で打ってらっしゃいました」とかそういう報告までしてくれる。
当然、ガルちゃんの化石掲示板と俺のHPや掲示板はチェックしてくれていて、常に情報収集してくれていた。

7台じゃ足りない…

土日祝日になると朝から打とうと開店前から並んだ。
しかし我々の仲間の数も増えていき、ついには9時から並んでも打てない状態に。
その場合はだいたい「何時まで打つか」を聞き出して、それまでの間は裏の動物園でアニマルを打って時間を潰すことが多かった。
そんな状態が1ヶ月くらい続いた後、ついにS藤君が俺の掲示板に「おかげさまでプレを増台することになりました!」と書き込んでくれた。
これには俺たちも狂喜乱舞。
俺たちの力で増台することになったのは本当に嬉しかった。

大切な出会い

ネット繋がりやライターさんの多くも、この金歯のプレのシマで出会った。
それ以前から交流があったガルちゃんが、雑誌の企画で打つことが何度もあった。
きっとその全てで俺は居合わせたんじゃないかな。

もちろんライターさん以外でも多くの友達ができた。
今となっては親友と言えるエセ店も、最初は俺の掲示板のROMから始まった。
金歯で打っている俺たちをひっそりと観察し、「実は今日打ってましたがお声は掛けませんでした」と掲示板で告白され、ついに直接声をかけてくれた日が来た。
その半月後には一緒に白河方面へ旧台を打ちに出かける仲に。

一体何人の人に金歯のプレのシマで「あーたんさんですか?」と声を掛けられたのかな。
数え切れないし、もう覚えていない。

設定6のプレ

俺自身はポイントを貯めて予約して打ったのは2回かな。
どちらも8000枚程度だったと記憶している。
「仲間内の誰かが予約してプレの高設定を打つ」となると、ちょっとしたお祭り気分で、基本的に朝から閉店までそのすぐ近くで一緒に打って付き合う慣わしになっていた。

14台になると…

難しいもんだよね。
今度は平日の稼働が微妙で経営側としては「14台もいらないだろ」という判断に。
残念ながら14台の状態は長くは続かなかった。
最終的には7台に減台した後、しばらく残っていたものの、最初の導入から1年ちょっとでついには全台撤去となってしまった。
それでもS藤君は最後までプレを残そうと尽力してくれた。
本当にありがとう。

こんなイベントも

詳しくは過去の記事を見てください。
懐かしのイベント

プレ亡き後

トリックモンスターだったり、ディスクアップだったり、ガメラだったり、まぁ何かと打つものはあった。
でもプレがあった時ほど積極的には通わなくなった。
ただ、当時はイベント全盛期だったので、美味しいイベントには積極的に参加した。

予約しての設定6

プレ亡き後はディスクアップの設定6を2度打った。
どちらも万枚オーバーできた。

更に時は経ち…

吉宗全盛期の2005年。
職場が金歯の近所だったので、仕事帰りにひたすら吉宗を打つ。
この頃は給料が入っても全く手をつけずに生活できていた。
金歯の吉宗はそれだけ勝ちやすかった。

その他のエピソード

細かいものは本当にたくさんあるんだけど、どうにもまとまりません。
この思い出のホールシリーズが終わった後にでも補足という形で書こうかなと思います。

 

参考:東京都|新宿区|ここって昔はパチンコ屋?

次回予告

一応触れなくてはならないので、2000年~2005年あたりの新宿界隈の続きを書きましょうか。
動物園とか、BIS-IIとか。