思い出のホール_12

前回の予告通り、今回も1993年頃の東銀座駅界隈です。

アイゼンラーガ 銀座店

住所:東京都中央区銀座6-13-16 銀座ウォールビルB1

モンタナでモーニングに並んでいる頃から、ゴリコップのシマで仲良くなったおじさんから「東京温泉のところがパチンコ屋になるよ」とは聞いていた。
それがついに開店したとのことで、グランドオープンから少し遅れて覗きに行った。

エントランスでいきなりビックリ

ホールは地下にあるので、1階のエントランスを通らねばならないのだが、そこに受付嬢がいた。
デパートの受付嬢さながら、真っ白な制服に手袋をしてハットを被っていて、綺麗なお辞儀をして出迎えてくれた。
現在となっては似たような接客係のいるホールはあるが、当時はそれがとても斬新だった。

そしてお辞儀した受付嬢が顔を上げてさらにビックリ。
高校の同級生のSちゃんだった。
高校時代から何かと目立つ子で、俺と同じようにバイトに明け暮れていたSちゃん。
Sちゃんのノルマのために彼女がバイトしているファミレスのクリスマスケーキを予約したこともあったような仲。
「ひさしぶり~。ようやく念願のフリーターになれたの~」という言葉が忘れられない。

中に入ってまたビックリ

1階のエントランスから地下に降りて、地下1階と地下中2階と地下2階の3フロア構成。
各フロアを見ていくと、一人の女性クルー(この店では店員のことをクルーと呼ぶことにもビックリ)が声をかけてきて、さらにビックリ。
高校時代からよく対バンするバンドのドラマーのMちゃんだった。
いきなり高校時代からの女友達2人と再会するなんて、よっぽどたくさん募集したんだろうな、このホール。

他にもビックリしたことはあった。
地下中2階にラジオブースのようなものがあって、DJ担当の女性がしゃべりつつBGMを流すというスタイル。
軍艦マーチとはかけ離れた世界が演出されていた。

さてさて

設置機種は連チャンデジパチ、権利モノ、羽根物、パチスロと多岐に渡っていた。
この店でニューパルサーを初打ちし、以降この店ではニューパルを軸に打つことになる。

三共の「フィーバーパワフルV」もこの店でよく打った。
ご存知ない方のために説明すると、保留玉連チャンであまりにも有名な「フィーバーパワフル」は「フィーバーパワフルIII」のこと。
この「フィーバーパワフルV」は保留玉連チャンではなく、数珠つなぎ連チャンを搭載したマイナー機。
大当り後、9マスのど真ん中が絡むリーチがハズれるまでは通常1/240の大当り確率が1/80にupしている。
高確率中だとしても見た目には変化がないので、現在がどのモードにいるのかはわからない。
IIIとはセルは違うがVの情報は全く浸透していなかったので、パワフルIIIと勘違いして座った客が交換ナンバーで大当り後に保留玉で連チャンしないから即ヤメする…という現象が頻発した。
もちろんたくさんハイエナさせてもらった。
しかし1/80の大当りを引く前に真ん中絡みリーチがハズれることも多く、そこまで効果的なハイエナではなかった。

大当り後即ヤメしている「キューティーバニー」を打ったこともあった。
3回権利ながら、強烈な連チャン性を備えているにも関わらず即ヤメされているとは…。

「フィーバーパワフルV」も「キューティーバニー」も、ラッキーナンバー制だったことが即ヤメの要因になっていることは間違いない。

ロボカードの登場

「パチンコ屋の会員カードを作る」。
生まれて初めてこれを経験したのもこのホール。
会員カードで端数を貯玉(再プレイの機能はない)したり、データロボにカードを挿すことでデータ閲覧が可能になった。
特にパチスロには有効で、チェックできなかった日のデータを採ることができたし、夕方から行った際のそこまでのデータを見られるのはとてもありがたかった。
本当にデータロボのおかげで勝率がupしたと思う。

開店から1年経つ頃には

SちゃんもMちゃんもバイトを辞めて、知り合いは居なくなっていた。
ラジオブースも使われなくなっていた。
廃れるのも結構早かったように思う。

でも、1階から地下1階に降りる階段の下でマッサージ師が常駐するようになった(有料)。
ちょうど俺がマッサージを学んでいたので、一度は施術を受けてみようと思っていたが、結局そのチャンスはなかった。

「遅れてきても大丈夫。私はここで遊んでいるわ」というコンセプトだったこの店。
女性客を取り込むことに注力していたホールだったが、残念ながらパチスロのメダルはものすごく汚かった。
ここでパチスロを打った後に、異性と手を繋ぐことはとてもおすすめできない。

その後

俺が学校を卒業してしまったので、東銀座に足が向かなくなった。
以前書いたように、1994年頃からは方南町~南台~中野新橋ばかりで打っていた。

アイゼンラーガは池袋店もできたが、1年ほどで閉店したように記憶している。
この銀座店は10年ほど営業した後に閉店したらしい。
最後がどのような感じだったのかはわからない。

アイゼンラーガ 銀座店で採用された様々な「新しい試み」はその後のパチンコ店の在り方そのものに多大な影響を与えたと思う。
咥えタバコの店員さんが掛かり玉を取ってくれる時代は終わったんだな…と思わせてくれた店。

 

参考:東京都|中央区|ここって昔はパチンコ屋? 【レトロぱちんこ文化考察】第5回「銀座のパチンコ物語」

次回予告

1999年頃の新宿…そう、金馬車 新宿店です。