思い出のホール_08

間が空いてしまいましたが、今週も回顧していきたいと思います。
1993年頃の方南町界隈。

プリマクラブ 中野店

住所:東京都中野区弥生町6-10-12

ここが新規オープンしたのが1994年。
当時の俺は専門学生。
パチスロはスーパーヘビーメタル、プレイガールV、そしてニューパルサー。
当時はモーニング全盛期。
6枚交換だけど、毎月22・23・24日の3日間は「開店記念祭」と題して、出玉もサービスもかなり充実していた。

サンX2(太陽電子)

この店で忘れられないパチンコである。
よ・う・こ・そ・♥・ナ・イ・ト・ク・ラ・ブ・サ・ン・X・へ
この1文字ずつが図柄として採用されているドット表示の確変デジパチ。
当時はCR機も盛り上がっていたが、現金機でも確変を搭載している機種がチラホラとあった。

仕様についての詳細は他サイトを参照していただくとして、とにかく朝イチの当りが「♥」に偏る。
「♥」は確変図柄にして、この店での唯一の無制限図柄である。

そして朝イチは単発回しだと確変に突入しやすいという特徴もあった。
よって、パチスロのモーニングを外したらすぐにサンX2の大当り0回の台をカニ歩き。
これだけでしっかりと稼ぐことができた。

年に1度のお小遣いチャンス

この店で会員登録しておくと、誕生月にバースデー特典のハガキが届く。
そのハガキをカウンターへ持っていくと、無制限チケットが3枚もらえる。
ラッキーナンバー制で営業していたこの店で貴重な無制限チケット。
常連の間で1枚5千円で取引されていた。
パチスロしか打たない常連にとっては、年に1度のお小遣いチャンスだった。

常連が自分達のシマを守る意識

この店は常連同士の繋がりが特に強い店でもあった。
この頃に知り合った人とも今でも親交がある。

新装初日から新台をしっかりと出す店だったが、当時の朝イチの入場は並び順。
開店プロに狙われることも多かった。
この頃のこの界隈の開店プロ軍団には、某大御所ライターさんも所属していたのではないかと思う。

三共のスーパーコンビSPの新装初日。
俺は朝4時に並んで座れたが、約10台のうち、常連は俺を含む3人だけ。
残りはすべて開店プロに取られてしまった。
確かこの店のルールのボーダーラインが6回/千円くらいだったと思うのだが、俺の台は13回/千円あって、夕方までに13万のプラスでバイトのために他の常連に譲った覚えがある。
そんなお祭り状態なので、新装の度に開店プロたちが来るようになった。

開店プロは始発電車で移動してくるらしく、始発が動き出すまでに台数以上の人数が並んでいれば排除できることに気づいた。
ここで我ら常連軍団はみんなで協力した。
自分たちが還元を受けるはずの出玉を守るために。
打たなくてもいいから4時までに集合して、店の前で酒盛りしたりギター弾いたりトランプしたりして遊ぼうと人数を集めた。
すると、新装開店のたびにそれが楽しみとなり、老若男女問わず台数以上の常連たちが毎回集まるようになった。

クランキーコンドルで大逆転

1997年の5月、俺の収支はどん底だった。
色々と打ち散らかして、半月で約30万負けていた。
5月19日に他店よりずいぶんと遅れて新台入替でクランキーコンドルが導入されるとハガキが来た。
すでに専門学校を卒業して時間的に余裕があった俺は、毎日同じカド台を開店から閉店まで打ち、月末までに60万のプラスを出し、月間収支で30万のプラスまで持っていくことができた。
我ながらこれは快挙だった。
以降も安定して稼がせてもらった。
ご多分に漏れず、クランキーコンドル様様である。

ワンワンハウスAAAで攻略法発見

1998年、新台で導入された。
まだ雑誌にも取り上げられていない機種だったので、仲のいい常連で目視で配列を作ったり、リーチ目を探したり、リプレイハズシの手順を模索しながら打っていた。
当時から実戦データをメモりながら打っていた俺はあることに気付く。
ボーナスが成立するゲーム数に偏りが見られるのである。

初日の閉店後、常連で集まってファミレスで会議。
2日めは可能な限り隣近所も含む全台のボーナス出現ゲーム数をメモり、なるべく多くのサンプルを集めることにした。

2日めの閉店後、同じように会議。
そこで実戦データを集計してみた。
間違いないレベルで偏りが見られた。

2日めの実戦中、俺は毎ゲームの小役出現もメモっていた。
そこで確信に変わる。
これは周期モノのBだ。
小役が成立するゲームとボーナスが成立するゲームが周期的に訪れることがわかった。
では、何も揃わないゲームを1枚掛けで消化したらどうなるだろう?

それを3日めに試して、攻略法として完成させてしまった。
何も揃わないとわかっているゲームは1枚掛けで消化すればOKだった。

実は2日めの常連会議のときに「もしもこれが攻略できたら、どうするか」も話し合った。
出した結論は、仲のいい店員(白シャツ)のI君にすべてを話し、稼働停止または1・2枚掛け禁止にしてもらおうと。
もちろん自分たちも稼ぎたいけど、それよりも見知らぬ人に荒らされるのがイヤだったし、何よりもホールにとっての予定外の出玉は、最終的に自分たちの首を締めることになるので、ありがたくなかった。

なので俺が店員のI君にすべて話をしたが、簡単には理解できない上、にわかに信じがたいとのことで、そのまま営業を続けた。
すぐに俺たち常連はワンワンハウスから手を引いた。

すると数日後、見知らぬ軍団がワンワンハウスを開店から占拠。
彼らの手順を見ていたら、俺たちが考えた手順とは違って、簡略化しているけど精度が低いのがわかった。
「キミらが1枚がけしているそのゲーム、薄いけどボーナスの可能性あるよ」なんて心の中で思ったものだ。

ネットを検索すると「セット打法」として紹介している記事を見かけるが、このバージョンのBモノは「小役が成立するゲームと高確率でボーナスを抽選するゲームを特定できる」のであって、決してセット打法ではない。

この軍団来襲でI君はやっとシマ閉鎖を決意。
昼前に稼働停止させた。
翌日以降、稼働はさせるが、1・2枚掛け禁止となった。
チャンスとなるゲーム数手前でやめているような台をハイエナすることだけはさせてもらった。
そして1ヶ月も経たないうちに撤去となった。

事件です!

毎日のように朝からこの店で打っていた俺だが、その日は珍しく朝から行けなかった。
ワケあって父親のリハビリに付き添っていたのだ。

リハビリから帰宅して、正午すぎに原付でプリマクラブへ。
すると店に面している方南通りが通行止めになっている。
プリマクラブの周りに緊急車両が沢山止まっている。
エンジンを止め、原付を押して歩道を歩いてプリマクラブに到着すると、警察官がたくさんいた。

駐輪場で警察官と話していた女性店員S主任が開口一番「常連のHさんがあーたんのこと探していたよ?」と。
そこで何があったのか、聞かされる。

その日は1995年8月28日(月)。
世間的な給料日からの金・土・日曜日の3日分の売上を預かった銀行員を駐輪場で拳銃を持った二人組が襲い、発砲。
発砲音を聞きつけて店内から出入口に来た常連客に向けて発砲は続いたが、運良くハズれて出入口のガラスを撃ち抜いた。
その後、現金を奪って新宿方面へバイクを二人乗りして逃走したとのこと。

そして更に驚いたのは、Hさんが原付で店に到着した時がまさに1発めの発砲が行われた瞬間だった。
のちにHさんから直接聞いた話では「バイクでそのまま犯人にツッコもうと一瞬は考えたが、できなかった」そうだ。

犯人が逃走した直後、Hさんは負傷した銀行員を介抱しつつ、店内から出てきた店員さんに「あーたんを呼んできて!」と言ったらしい。
それはきっと俺が店内で打っているだろうし、救急の知識があるだろうから応急処置を頼みたいと。

しかしその日に限って俺はいなかったのだ。

それからも毎日この店で打っていた。
頻繁に見かけるようになったおじさんが俺に声をかけてきた。
刑事さんだった。
俺も多少は疑われているらしい。
たまたまその日は来れなかった経緯と理由を話した。
その後、病院に確認を取ったようで、俺の疑いは晴れた。

そりゃそうだよな。
俺が専門学校で習った先生が偶然にも父親のリハビリの担当であることがわかり、その先生がいらっしゃる2週に1度しかないタイミングで父親に付き添って挨拶しに行ったのが、その8月28日(月)なんだから。

 

参考:東京都|中野区|ここって昔はパチンコ屋?

次回予告

書く前からわかりきっていたことだけど、とても長くなってしまったので、ここで一旦切り上げます。
次回も1993年頃の方南町界隈他です。