前回までより時代を少し遡って、今回は1993年頃の東銀座駅界隈です。
モンタナ 銀座店
住所:東京都中央区銀座4-10-10 銀座山王ビル
【銀座5丁目店】東京都中央区銀座5-12-1(後のピーアーク 銀座店)
どうしても4号機のトロピカーナが打ちたくて、白夜書房が発行した「パチンコ必勝マップ」を頼りに通学途中の東銀座駅で途中下車し、初めて覗いてみた。
後から常連に聞いてわかったことだが、俺が初めて入店した店舗は5丁目の仮店舗。
元々は向かいの4丁目のビルにあるホールだということだった。
トロピカーナの他、チェリーバー、コンチ1、コンチ3など、ユニバ系が充実していた。
パチスロは多分6枚交換、パチンコは3円無制限営業。
まずはパチスロから
トロピカーナは通い始めた1ヶ月ほどは毎日のように打った。
勝ったり負けたり。
チェリーバーもよく打った。
おそらくBモノで、「約4万円入れないと当らない」ということを何度も経験した。
どちらの4号機も告知ランプを生かしていた。
モーニングも入れていたのだが、開店時のみ告知ランプを切っていた。
モーニングで当った台を店員が開けて、告知ランプを復活させる…ということを毎朝やっていた。
ゴリコップで留年危機
この店のパチスロと反対側の一番端のシマにゴリコップがあった。
当時からパチンコ必勝ガイドのヘビー読者だった俺は当然その名を知っていた。
打ってみたら3万くらいで当らずに終了だったと記憶している。
この店は珍しく開店時間が11時。
朝からゴリコップを打とうと開店前から並んだ。
すると常連のおじさんに声を掛けられた。
それでわかったことだが、パチスロだけでなくゴリコップにもモーニングが入っているらしい。
改めて入口の外から見える範囲(5~6台)のゴリコップをチェック。
全台の出目は「11」。
だが、1台だけ明らかに待機中のイルミネーションがズレている。
入店してその台を打ってみたら、見事にモーニングゲット。
次の日も、その翌日も、さらにその翌日も。
誰にも言わなかったが、ほぼ100%の確率でモーニングが丸わかりだったのである。
上で「ほぼ100%」と書いたのは、1日だけ店員がモーニングを入れるのを失敗した日があり、偉そうな店員が「ちゃんとモーニング入れたのか!?」と叱っている現場を見たことがあった。
俺が通っていた学校は週の半分以上が13時に授業開始。
授業前の11時からゴリコップのモーニング…という日々で、当然遅刻したり、行けなかったりという日が多くなり、おかげで単位が危うくなった思い出の台。
バニーズ2
ゴリコップのモーニングが一段落して、新しく入った三共のバニーズ2を打ってみた。
16Rの大当りと1Rの小当りの2種類の当りを搭載している3回1セットの権利モノ。
2ケタのルーレット風なデジタルで、33または77で大当り、37または73で小当り。
左出目に3か7が止まればリーチ。
右出目は通常速度で回っているのだが、3と7の付近でスローになる。
リーチに入ってから右出目が2回めのスローになれば小当り以上が確定。
この2回めのスローになる瞬間、「ぬわーん」って感覚に陥る。
この感覚が病みつきになり、朝はゴリコップ、それ以降はバニーズ2というのを日々繰り返すようになった。
改装オープン
ゴリコップが撤去された後、建て替え工事中だった4丁目のビルが改装オープンとなった。
5丁目の方は閉めるのかと思いきや、しばらくは同時に営業していた。
新店舗のパチスロはソレックス、オリエンタル2、コンチ3など。
パチンコはラッキーボーイの他、花満開やミリオンパンチなどのCR機も入った。
エスケープ2
新店舗で一番良く打ったのはエスケープ2。
あまり勝てなかったが、連チャンの魅力に取り憑かれたように毎日打っていた。
毎週水曜日はラッキーボーイの日
朝イチ全台「3」で開店。
モーニングである。
少量でも玉を持っての台移動は禁止なので、普段は500円玉で打つところを水曜日だけは銀行に寄って100円玉を準備し、モーニング探しでカニ歩き。
打つ時は襟のある服装で
場所柄、客のほとんどがサラリーマン。
俺のような若者がとても少なくて、Tシャツなどの軽装で打っていると浮いた存在になる。
よって、いつもポロシャツか、Tシャツの上にYシャツを羽織るなどの服装を心がけていた。
独自ルール
- 固定ハンドル禁止
- ガム禁止
- 5分以上の離席禁止
- 足組み禁止
- 食事休憩なし
今では考えられないほどの厳しめなルールが敷かれていた。
これらすべて店内放送で周知していて、守っていない客はしっかりとつまみ出されるから凄い。
近くにアイゼンラーガ銀座が新規オープンしてそちらに通うようになり、自然とモンタナからは足が遠のくことになった。
地下鉄サリン事件の日
この日、俺は専門学校の卒業式だった。
銀座駅から日比谷線で八丁堀へ向かうところだったが、日比谷線が全線不通だったので、学校まで歩くことに。
その途中にモンタナがあるので久々に寄って、とてもお世話になった東北弁のおばちゃん店員に慣れないスーツ姿で卒業のご挨拶をした。
あの東北弁のおばちゃん、もういいお歳だと思うけど、今も元気なのかな…。
地下鉄サリン事件の日の話はまたいつか別の機会にこのブログに書きます。
次回予告
次回も1993年頃の東銀座駅界隈(アイゼンラーガ 銀座店)です。